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80’s上野駅 2007/07/03

Posted by むき in : Railways, Models, EL, PC , trackback

最近ウチに配属された直流機、EF62(前期&後期)、EF64(0番台)、EF58(上越型×2)。

これらを並べてみて、どうもEF64だけ登場場面が異なる気がしていたのです。
というのは、EF64の0番台は、初期型は奥羽線福島<>米沢間のEF16置き換えのために配置され、その後中央線方面に転属となったという記憶があったから。
つまり、上野口に0番台がいたことはなく、上野で0番台とゴハチ、ロクニやロクヨン1000番台が出会うとことはなかった、と勝手に思っていたわけです。

しかし先日「0番台が長岡区に配置され「北陸」「能登」を牽いていた」という情報を入手。
ゴハチ置き換えのための1000番台が配置される直前、習熟運転のため0番台が5両、長岡区に転属となったらしい。
64-1000が新製されたのは1980年だから、新幹線開通前夜:80年の上野口は、58、62、64-0、64-1000の夢の競演が実現していたのですね。
しかもそこには、東北筋のEF65PF、さらに常磐筋のEF80とかも並んでたのか。。。ゴナナにはちょっと間に合わないね。
うはー、それって電機好きにはたまらない風景だったんだろうなぁ。。

ちなみに当時長岡運転所に配置されたEF64-0番台は37、38、39、74、75号機だそうです。
お!ウチの64には38号機のナンバープレートがあるじゃないですか!
上野口のカマだと、検査は大宮工場なのかな?
そうだととすれば、大宮工場の64の屋根色塗装は黒だったはずなので、モニタを黒に塗装しないとね(個人的にはその方がメリハリがあって好き)。

あれ?ここで混乱。
急行「能登」をロクヨンが牽いてたってことは上越線経由?
高校生の頃「上野口最後のEF62牽引急行」という触れ込みの「能登」を早朝の西日暮里で撮った記憶があるし(架線柱カブりで撃墜)、その後長野新幹線開通で横川-軽井沢間が分断されたため上越腺経由になったという話も記憶にある。
ということは、最初は上越線経由だったんだけど途中から信越>再び上越ってこと?

そこで、困った時のWikiPedia。

急行「能登」

なるほど、75年上越経由>82年に新幹線開通の煽りで信越経由へ>97年、信越線分断で上越経由へという変遷だったのか。全然知らなかった。
とすれば、80年時点では上越腺経由なので、ロクニではなくロクヨンorゴハチが牽くのが正解、というわけですね。
うん、すっきり。

個人的には最新型の範疇の電機だと思っていたEF64-1000、実は80年登場なのね。そろそろ30才かぁ。
コンテナ列車かブルトレ(14系以降)を牽かないとサマにならないと思ってたけど、意外や旧客も牽いてたのか。

当時の上野駅を再現するならば64-1000も装備したいトコだなぁ。。
そういえば、最近KATOの64-1000が再販になったんだよなぁ。。。
・・・買いそうな悪寒。

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